脚本家を目指す君に 初心者のためのシナリオ講座① 第4回 群像劇
脚本を書きたい・・・・・書けばいい!!
前回に引き続き、脚本家を目指すあなたとを応援します!!
前回の話が見たい方は是非!
脚本ってだいたい2万字くらいだよね
どうやったら長い文章が書けるかな
どう引き延ばそうかなーー
それはただの自己満になってしまいなますよ
目次
- 長い文章を書くという意識を捨てろ
- ゴールを設定しない
- 長いと感じる映画はつまらない
- 最初は苦しむのは場面転換
- コメディ繋ぎは危険
- 群像劇と言う手法
- 群像劇とは
- 桐島の場面転換
- 桐島の繋げ方
- 物理的に集合しなくてもいい
- キャラクターを平等に描く
- まとめ
このシリーズではシナリオスクールにも通わず、参考書を読むこともなく
90分の舞台をオリジナルで執筆した委員長が
脚本を書きたいあなたへ、ちょっぴりアドバイスします!
ちょっと脚本に興味あるかもって人向けです!
今回からは少し技法に触れます!
是非、これを見て1回書いてみてほしいです!
長い文章を書くという意識を捨てろ
あなたはどんな文章を普段読みますか。長さで決めてますか。そんなわけないですよね。面白さですよね。読書感想文や卒論という学校の課題で文章を書くように教育された我々は「文章の良さ=長さ」っと意識がどうしても潜在的に植えつけられています。文章の中身で評価すると言いながら、結局は文字数を指定していますよね。それはメール文章などにも影響し、「長い文章=誠意のある文章」という訳の分からないルールが無意識的に存在しています。脚本を書く上ではこの意識は邪魔でしかありません。仮に長い原稿が出来上がったとしてもそれは結果でしかありません。
ゴールを設定しない
何かを始める時に我々はゴールを設定します。そうじゃないと進まないからです。マラソンの走行距離が大会ごとに定まってなく、走ってる最中に決められていては記録が伸びませんし、誰もやろうとしません。42.195kmと決まっているから戦略を立て、それに向けて練習することができるのです。
しかし、脚本を書く場合はゴールを設定しないで下さい。文字数を決めたりすると文字数を無意味に稼ごうとしてしまいます。
長いと感じる映画はつまらない
言うまでもないですが、映画を見ていて長いと感じてしまった時点でその映画は厳しいでしょう。よく「衝撃のクライマックス」という宣伝広告を目にすると思います。それなのに、あまり衝撃じゃなかったと感じることはないですか?それはクライマックスに至るまでの逆算の演出ができていないからです。仮に大きな展開をクライマックスに用意していたとしても中盤をしっかり描かないと連続して見えないので、大きくならないのです。内田けんじ監督やデイミアン・チャゼル監督は中盤の描写がとてもうまいです。
最初は苦しむのは場面転換
そうは言っても、ある程度の長さがないと短編になっちゃうでしょ?その通り。長いと感じてはいけなくて、でも長さは感じさせない。わりと難しいですね。そもそも何に最初、苦しむのか。それは場転だ。同じ場所でキャラクターがセリフを交わした後、どう場面を展開するのか、頭の中ではこういう話をしたいと思っていても、そこへ展開できない。よくアマチュアの劇作家などはここでキャラクターに不自然なセリフを吐かせたり、変な暗転を使って、無理やり繋いでしまう。これをやると物語の連続性を失う。
コメディ繋ぎは危険
コメディ繋ぎは話と話の間を笑いをとることでつなげるというものだ。劇団MONOや三谷幸喜は非常にここが上手い。しかし、これは超高等テクニックなのだ。「笑いを取るのは楽そう」という安直な発想でアマチュア劇作家がよくやってしまう。そして、だいたいが自己満の内輪受けになる。「楽しいのは自分たちだけ」という最低の状態だ。自分が話したことがない人(観客)を笑わせるのすごく難しいのだ。そして、失敗の代償がでかい。笑いを外すと一気に観客が離れる。漫才師を見ていればよくわかる。ツカミを外したらその後の挽回はほぼ不可能だ。
群像劇と言う手法
ではどう場転するか。そもそも連続していない状態にしてしまえばいい。そこでおススメしたいのが群像劇です。群像劇なら場面展開が自然だ。別の世界を描けばよい。しかも、群像劇は文字数を意識しなくても勝手に長くなります。
群像劇とは
複数のストーリーがバラバラに進んでいたかと思ったら、最後にそれが一つにまとまる、というスタイルの物語形式のことだ。代表的な作品は「桐島、部活やめるってよ」「パルプフィクション」などです。最初は、ただの場面転換の道具だと思えばいい。
桐島の場面転換
「桐島、部活やめるってよ」は非常に良い見本だ。あの話は複数人の視点から同じ現象を見ているので多くの転換がある。場面と場面は特につないでいない。シーンごとに別のキャラクターの話が繰り広げられるから飽きない。仮にあの話が前田(神木隆之介)の視点だけで進めば退屈だろう。注目すべきは1人1人のセリフは少ないということだ。変に文字数を稼ぐ必要ない。必要だと思ったセリフだけ吐かせておけばよい。
桐島の繋げ方
しかし、オムニバスのようになってはいけない。それでは短編集になってしまう。桐島はどう繋げているか。「桐島が部活をやめた」という現象に全キャラが向いている。そうすれば最後を繋ぐことは難しくない。学校のヒエラルキーをそれぞれがどう見ているか、という視点だけで描いていく。そして、ラストシーンで全員集合させれば、連続した話になる。
物理的に集合しなくてもいい
桐島では物理的に全キャラが集合したが、別にそうしなくてもいい。パルプフィクションは別に集合しない。それぞれのキャラクターが同じテーマの中で動けばそれでいい。「仕事」「恋愛」なんでもいい。とにかく、同じテーマの中で動かせば連続した物語になる。
キャラクターを平等に描く
この手法の注意点は描きていくうちに1人のキャラクターに想いが強まって、バランスが悪くなること。桐島は前田にフォーカスが当たっているように見えるが、宏樹、実花、風助などにもしっかり当たっている。初心者がそれに近いことをやろうとすると、他のキャラクターはただの時間稼ぎのための引き立て役になり、そのキャラの登場場面は退屈になってしまう。最初は必ずここを平等に描くのだ。
まとめ
今回は群像劇について紹介しました。はじめて書く方は場面転換が容易なこの手法を勧めます。そして、もう1つこの手法のメリットがあります。それは必然的にキャラクターを深めらるということです。主人公意外のキャラクターを描くのは意外と難しい。主人公のための存在になってしまいがち。群像劇はそうならずに書くことができるので、将来的も価値のあるやり方です。
次回は「脚本を書く時にやってはいけないこと」を紹介します。
映画や舞台を見ていて「あれ?」って思うときはだいたいこの要素が絡んでます。
是非、みてください!!!
それでは!!!
シュワッチ!!!